【2018年7月5日ニュース】大高氏第五回公判―手続きは進めど審理は進まず


警備法廷、法廷警察権、裁判の公開、欠席裁判の無限ループ

 7月4日午後1時半から、大高氏の第5回公判が、東京地方裁判所の426号法廷で行われました。警備法廷ですが、映像証拠を検証するために、映写施設のある426号法廷が選ばれた様です。法廷の両側に、大きなパネル状の映写設備(大型の薄型テレビのようなもの)があり、法廷の設備は429号法廷よりも上等のようです。前回の429号法廷では、向かって左側に弁護人が、向かって右側に検事が座っておりましてが、今回は逆に座っていました。この位置は、時々変わるようですが、どのように決めているのでしょうか。振り駒や石の握りで決めるのでしょうか。どうでもいいことですが、気になります。

 開廷前に、裁判長が前回同様、大高氏が不出廷の事情について、大高氏が(不当に)拘束されている東京拘置所の報告書なるものを説明しました。それによると、召還にもとづき、職員が午前7時40分に大高氏に出廷するよう求めたが、大高氏は、「行かないよ」、「憲法上行かなくてもいい」、「でたらめ裁判に行ってもしようがない」などと述べ、出廷を拒否したということです。職員が大高氏の部屋に入り、連行しようとしたところ、「暴力はやめろ」といい、強制連行に従わなかったということです。これをもって、裁判長は、正当な理由なく大高氏が出廷を拒否したので、刑訴法286条の2の規定が成立し、公判を行えるとして開廷宣言しようとしました。

 これに対し、長谷川弁護士が発言しました。開廷には反対であり、本日はこのまま散会し、後日、警備法廷でないまともな法廷で、審理を行うべきである。その理由は、第一に、財務省の公文書捏造や防衛省の隠ぺいもあり、東京拘置所の報告書の真偽は不明である。第二に、警備法廷などというが、つまりは暴力的に傍聴人を威圧し、監視するこのような法廷は、正当な公開法廷とは言えず、大高氏の出廷拒否は当然である。この事件は、裁判所の警備を発端とするもので、裁判所は一方の当事者であり、その裁判所がこのような異様な法廷を行うのでは公平な裁判は期待できない。

 これに対して、裁判長は検事に意見を求め、開廷しようとしましたが、長谷川弁護士は、「私が意見を述べたのに、合議もせずに開廷するとは何事か、合議する必要があるのではないか」とかみつきました。裁判長は、やや不明瞭な対応ののちに、開廷を宣言しました。

 長谷川弁護士は、異議を提出し、その理由を述べました。さらに、萩尾弁護士が発言し、大高氏が「でたらめ裁判に行ってもしようがない」と述べているのは、実際にこの間の裁判がでたらめなので、正しい。この事件は、公開の法廷を傍聴しようとした大高氏を裁判所が逮捕して、裁いているもので、本来ならば公訴棄却にすべきものであることが明らかなのに、このように続けている。警備法廷を行う理由についても、回答していない。

 裁判長は検事に意見を聞いたのちに、7月3日付の弁護側の上申書で、警備法廷を控えるよう申し入れを受けているので、それについて回答したいと述べました。それによると、裁判所が(警備について)独自に情報収集することは問題ない。裁判所は法廷の秩序を維持し、不測の事態を防ぐ立場にあり、その観点から警備法廷を選択したものであり、これについては譲れないということでした。

 長谷川弁護士は、不測の事態というが、単に漠然と不安があるというだけで、警察権をこのように行使できるものではなく、不測の事態が起こる相当な蓋然性がある場合に限定されるべきである。そうでなく、いたずらに警備法廷を実施するのは裁判の公開の原則を蹂躙していると反論しました。さらに、萩尾弁護士が、このような訴訟指揮は日本国憲法37条の1項に違反するものであると述べ、証拠提出してある潮見論文を引用して、庁舎管理権や法廷警察権に限界があることを指摘しました。 これらの指摘に対し、裁判長は回答する姿勢を垣間見せたのですが、結局は、「俺がやりたいからやるのだ、俺には権限がある」という以上の説明をすることができず、その論理で手続きを進めました。

防犯ビデオ映像の上映

 次に防犯ビデオ映像の証拠の確認に移りました。426号法廷には、裁判官や検事、弁護人の席の前にはパソコンがあり、映像を見ることができるだけでなく、左右の壁に大きな映写装置があり、防犯ビデオ映像をそれぞれに映写し、萩尾弁護士が説明しました。途中、なぜか検事が萩尾弁護士の説明を妨害しようとしましたが、裁判長が最低限の説明という条件を付け、説明を続行しました。

 東京高裁・地裁の庁舎の各フロアは、中央の廊下の両側にほぼ垂直方向に複数の枝状の廊下が伸びて、枝廊下の両側に法廷が配置されており、枝廊下と中央廊下はガラス状の透明な門で仕切られています。映像は、問題となっている法廷のある枝廊下の奥に、中央廊下との境の門に向って設置されているカメラからの映像のようで、枝廊下の内側の中央廊下との境目付近が写っています。映像は、立ち入り禁止処分をされたW氏が、枝廊下内部の入り口の門の付近で、処分の命令書と思われる紙を手に持って、四、五人の職員と話している場面から始まっていました。次の場面で、事件とは無関係な通行人が門を開けて入ってきて、手前側の奥の法廷のほうにむかい、画面から見えなくなりました。しばらくして、大高氏が門を開けて入ってきて、W氏と少し話をしている様子でしたが、職員と会話を交わすことはなく、手前の法廷のほうに進んで、画面に頭が少し見えたり、完全に見えなくなったりといった状況になりました。W氏と職員のやり取りが収まらないので、大高氏は画面では手前側の死角部分にいて、その経緯を見ていたと思われます。その間、W氏もW氏に対置している裁判所職員も、画面手前のほうに特段の注意を払っている様子は見られません。この状況が10分ほど続いた後、大高氏が多数の職員に囲まれ、中央の境の門のほうに進み、出ていく場面があり、そこで映像が終わります。大高氏はその直後に中央廊下で逮捕されたということのようですが、この映像は、第二回公判での裁判所の警備職員アマミヤダイゴ氏の証言とはかなり食い違うという印象です。証言では、大高氏が大声で「裁判所はおかしい」などと怒鳴り、制止する職員といさかいになり、やむなく退去命令が出され、警察に通報して逮捕させたということですが、そのような形跡は映像にはありません。なお、検事は、映像には音声がないので証拠能力がないと主張しているようです。

 確かにこの映像だけでは事件の全貌を知るまでには至りませんが、裁判所には、来庁者のプライバシー保護を尊重するでもなく、多数の防犯カメラが設置されているようであり、大高氏を警察官が逮捕した場面、大高氏に対して職員が警告(二回警告したと証言しています)している場面、あるいは退去命令を通告している場面も残っているはずです。真相の究明にはそれらをすべて開示すべきと思いますが、公文書に関する最近の財務省や防衛省の取り扱いの状況を見ると、都合の悪い記録は破棄するか隠ぺいされる可能性が高いでしょう。

法廷を侮辱した810転び公妨事件の裁判官について

 426号法廷における証拠の防犯映像の上映については、どうしても触れなければならないことがあります。大高氏は2010年に、裁判所主導の冤罪事件と思える「810転び公妨事件」で逮捕起訴されたのですが、この事件でも裁判所内の防犯カメラの映像が証拠提出され、2011年11月24日の第七回公判において、426号法廷で上映されました。ところが裁判長は、法廷の両側の大型スクリーンを使用せず、検事、裁判官、弁護人の前に設置されているパソコンにだけ映像を映すという訴訟指揮を行い、弁護人の抗議を無視しました。裁判長の意図するものは、傍聴人には証拠である映像を見せないというところです。このことが何を意味するのかについては、よく考える必要があります。

 問題は、現在の日本の法体系における法廷の概念から始めなければなりません。日本国憲法では少なくとも刑事事件は公開の法廷で審理することを絶対条件としています() 。公開の法廷をどのように実現できるのかについては、議論の余地がありますが、少なくとも裁判官が傍聴人を排除した場合には、それが公開の法廷の要件を欠くことは自明であり、つまり日本国憲法の規定する法廷の要件を欠くということです。

 刑事法廷の実態を成立させる構成要素には、被告人、弁護人、検事、裁判官、または職員などがありますが、公開法廷の論理的帰結として、傍聴人が必須の構成要素であることは明らかです。810転び公妨事件の裁判官は、2011年7月の法廷において、傍聴人に故意に証拠を見えなくする措置をとったのですが、彼には傍聴人が公開法廷の必須の構成要素という日本国憲法の理念が理解できていなかったのか、あるいは理解していて、否定したかったとしか思えません。彼の理想とする法廷の概念において、傍聴人は必須要因ではなく、任意の付属物となっていたのではないでしょうか。そのような独善から、傍聴人をないがしろにしたことは、傍聴人を侮辱したことにほかならず、傍聴人を侮辱したということは、法廷自体を侮辱したと考えるべきです。

810転び公妨事件の裁判長の法廷侮辱行為は改善されたのか

 幸か不幸か、今回の法廷では、裁判長がそのような昏迷の措置を取らず、証拠の映像を傍聴人だけに故意に見せないようにすることはありませんでした。これをもって、日本の司法の在り方の改善ととらえることができるでしょうか。私は、そのような見方には同意できません。日本国憲法や国連の人権宣言などの想定する司法のありかたでは、個別の裁判は裁判所という法人的な集団によって、その総合的な意思によって実施されるのではなく、独立した個人である裁判官の意志により、日本国憲法と法律と良心に基づいて行われるものです。その実施には、結論としての判決の内容だけでなく、審理に立ち向かう姿勢や、その実体化ともいえる訴訟指揮も含まれていると解されるべきです。したがって、810転び公妨事件の法廷で、裁判官が法廷を侮辱するような訴訟指揮を行ったことと、今回の法廷で裁判官がそのような行為を行わなかったことを、裁判所という全体的な主体の意思の変化としてとらえることは適切ではなく、単に、ある法廷である裁判官が訴訟上の不適切な行為を行ったが、別の法廷では別の裁判官がそのような法廷侮辱的な行為を行わなかったという二つの事実があるにすぎません。前者の裁判官が行った法廷侮辱的な行為は、後者の裁判官が同じ条件下でそのような行為を行わなかったことによって、救済されるものではありません。実際には、裁判官が法廷を通して行う不適切な行為は、その法廷における当事者や、あるいは必須要因に位置する傍聴人に根強い被害を与えるものであり、そのような司法被害は、容易に回復することのできない深刻な傷害、損失として存在し続けるものです。

 そこで問題なのは、上記の例における前者の裁判官、つまり法廷を侮辱するような不適切な訴訟指揮を行った裁判官が、どのように評価されるのかという問題です。そのような不適切な行為を法廷という職業上の場で行った裁判官には、何らかの懲戒処分が必要であると思われるし、少なくともそのような裁判官の裁判官適性には疑問符が付くものであり、その欠陥の部分を埋め合わせる何らかの教育課程が必要になると思います。

 ところが、上記の810転び公妨事件の一審の裁判官が、法廷侮辱のような行為について、処分されたり、再教育されたというような情報は皆無であり、何事もなかったように裁判官の職務を続けているようです。

 裁判官といえども人間であり、完全ではなく、誤りを犯すことがあるだから、一つの誤りを執拗に咎めるのは不適切ですが、誤りが誤りと認識されないままに、適格性に疑問のある裁判官が放置されているのでは、裁判官の不適切な法廷における行為を原因とする司法被害がなくなることも、被害が救済されることもないでしょう。これは、改善のめどの立たない、日本の司法の深刻な欠陥を示している一つの現象であると考えるべきであると思います。

W氏の証人尋問について

 防犯映像の上映が終わると、裁判長はW氏の証人尋問の再申請について、検事はすでに尋問手続きは終わっており、証人尋問を再び行う必要はないという意見だが、自分は、本日の証人尋問を採用するつもりであると説明し、弁護側に意向を問いました。しかし、弁護側は、本日のような警備法廷において、証人尋問を行うことはできないので、警備法廷ではない正常な法廷において、証人尋問を行えるようにしてほしいと答えました。裁判長はこれに対し、それでは仕方がないので、証人尋問は却下すると述べました。これに対し、弁護側は異議を唱え、尋問権を放棄したのではなく、正常な法廷での尋問の実施を求めているのだと説明しました。

検事側の証拠の採用について

 次に検察側の提出証拠に関する弁護側の承認についての議論がありました。焦点となった証拠は、

  1. 大高氏の戸籍謄本
  2. 前科調書
  3. 千葉興銀名誉棄損事件の判決書
  4. 810転び公妨事件の判決書

でした。弁護側は、これらのすべての証拠について同意できないと回答しました。その理由について、「戸籍謄本」は初公判のときに大高氏は裁判長の質問に答え自分の名前を述べており、不必要である。前科調書は検事が、つまり裁判の一方の当事者が任意に作成するものであり、何の参考にもならない。3と4の判決書は、大高氏の裁判批判の行動をとがめて裁かれた事件の判決書であり、でたらめ判決というべきものであり、この裁判の参考にはならないものである。

 これに対し、裁判長は、まず戸籍謄本と前科調書を証拠採用し、前科調書の内容により、3と4の判決書の証拠採用を検討するとし、ついで、3の証拠を不採用、4の証拠を採用すると述べました。810転び公妨事件は、前述のような法廷を侮辱する不適格としか思えない裁判長によって裁いたものであり、判決の内容もトンデモ理論のようなでたらめなものですが、同じような事件で過去に有罪になっているので、今回の事件は累犯の再犯ということになり、求刑も重くできるというトリックがあるということです。

次回期日について

 次に裁判長は、次回期日を9月11日13時半、警備法廷の429号室と指定し、証拠調べがすべて終わっているので、次回は論告求刑と最終弁論を行うと述べました。これに対して、萩尾弁護士が異議を唱え、警備法廷で行われたこのような裁判は、暗黒裁判であり、日本国憲法31条、32条、37条の各条に違反しており、裁判の名にも値しない。そのような訴訟指揮は受け入れられないと述べました。裁判所の論理は、どんなに取り繕っても大高氏が出廷できない状況を裁判所の独断で造成しておきながら、大高氏が任意に弁護権を放棄したと決めつけるものであり、裁判の名に値しないという萩尾弁護士の指摘は、共感できるものだと思います。裁判長はこれに応え、自分たちも大高氏の話を聞きたいし、出廷を望んでいるが、警備法廷は譲れない。次回、大高氏が出廷するのならば、大高氏の本人尋問を行うつもりであるが、それについては予測できないので、大高氏の不出廷の場合を考えて、その場合には論告求刑と最終弁論を用意しておく必要があるので、その場合を考慮して、検事側も弁護側も準備をしてほしいと述べました。


()日本国憲法37条1項「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。」

[先頭へ]