司法行政文書開示申出の資料公開について

(裁判傍聴希望者の不退去罪有罪事件)

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 裁判正常化道志会の裁判ウォッチャーは、2017年12月7日に東京地方裁判所618号法廷付近で発生した、裁判の傍聴希望者に対する不退去罪事件について、一審および控訴審の刑事裁判の全法廷を傍聴しましたが、第一審において事実確認などの審理がまともに行われず、傍聴を通して得られる情報が決定的に不十分であると考えました。そこで、裁判所あてに司法行政文書の開示を申し出て、欠落している情報の補完を試みました。私たち裁判正常化道志会は、刑事、民事あるいは行政訴訟を問わず、裁判が正常な状態を保持するためには、第三者の市民的な視点からの裁判に対する批判的な評価が必要であり、当該裁判が正常な状態で行われたか否かについてを判断するためには、裁判の実施に関する情報が十分に取得できる条件が確立されていなければならないと考えています。なお、控訴審においては、審理自体が実質的に行われず、第一審判決を無条件に追認する判決が出されました。

 司法行政文書の開示請求は、2001年に施行された情報公開法とその10年後に施行された公文書管理法に基づく手続きであり、司法行政当局は行政における意思決定過程を記録する公文書を作成し、要求に応じて公開しなければなりません。従来、日本の行政府では公文書を作成保存し、公開するという観念が希薄で、機関の狭く短い視野で判断して、都合の悪い文書を隠匿し、破棄し、改ざんするというようなことが当たり前のように実施されてきました。このような行政府の姿勢は、強く批判され、改善を求められております。

 司法府は、それ自体が正義を体現すべき存在であり、強烈な倫理性を期待され要求されますが、判決が正義であると言わんばかりの傲慢な姿勢が目立ち、情報開示に基づく客観的な評価という発想に対しては行政府以上に排他的であるように見えます。司法では、裁判において大量の文書や資料を取り扱いますが、本来は公開されるはずのそれらの資料についても、閲覧、複写あるいはその公開について様々な制約が課せられています。この排他性あるいは閉鎖性の源流は、司法判断が基本的人権に優越するという法曹界のドグマではないかと思われます。

 裁判所は司法行政文書の開示申出の制度を設置しています。この制度では、申出人が開示措置の結果を承服できない場合には最高裁判所に苦情を申し出ることができ、その場合には最高裁判所が外部の審査委員会に措置の是非を諮問して、答申を求めることがあります。筆者は前述の不退去罪の事件についての、情報補完のために、二回にわたり司法行政文書の開示を申し出ました。二回目は、最初の開示申出に対する裁判所の対応に関する問い合わせでした。この申し出についての裁判所の開示措置について、筆者は両方に不満を感じ、苦情を申し出ました。最高裁判所はそれぞれの苦情に対して、外部組織である情報公開・個人情報保護審査委員会に諮問し、委員会が答申を返しました。答申の結果はいずれも裁判所の措置を相当と認めるものであり、結局、筆者は望んでいた情報を司法行政文書の開示という形態で取得することはできませんでした。

 二回分の答申書は、裁判所のホームページで公開されております。しかし、筆者は答申書だけで司法行政文書の開示申出の意味とそれに対する裁判所の措置、さらにそれに対する申出人としての苦情の提出の経過を理解することは困難であると感じます。このような事情により、提出した司法行政文書開示申出の意味について、正確で十分な理解をしてもらうことを希望して、それに関する資料を本ホームページで公開することにしました。量が多いので、参照するページを分けました。

裁判司法研究会:研究報告書=> 司法行政文書開示申出の資料公開について=> 2019年1月4日申出分 | 2020年10月12日申出分

裁判所のホームページの情報開会のページで公開されている該当する答申
2019年1月4日申出分に対応する答申  2020年10月12日申出分に対応する答申