読者の皆様、新年あけましておめでとうございます。本年も裁判司法に対する市民による裁判批判を継続していくとともに、日本の司法の性格に関する研究とその改善を模索していきたいと思いますので、よろしくご協力のほどをお願いいたします。
さて、昨年の大みそかに、驚くような事件が起きました。日産の前会長で、経営上の罪を問われて来日した日に飛行場で逮捕され、公判が2020年4月ごろに開始される予定といわれていた、カルロス・ゴーン氏が、とつぜん、レバノンから声明を発表し、ひそかに日本を離れてレバノンに移動したということがわかりました。このことに関しては、裁判所、検事はもちろん、弁護士も知らなかったということで、司法業界は驚きに包まれているようです。プライベイト・ジェット機に乗って、日本を飛び立ったということですが、筆者のようなものには、想像を超えたうらやましいような行動です。検察側と裁判所は、無理難題の保釈条件をつきつけて、保釈後もゴーン氏の活動を制約し、日本の司法という特殊な世界にだけ通用する論理により、裁判を執行しようとしていたのですが、ある意味で当てが外れたようです。
形式的には、刑事被告人が保釈中に逃亡したということになるので、有罪を受け入れない限り被告の保釈を認めない日本の人質司法が正しかったのだというような言説を、人質司法の強力な支持者であるヤメ検諸氏などが論じており、読売新聞を見る限り、そのような基調で論説が行われています。この事態をどのような考えればいいのか、筆者も少し混乱します。
ゴーン氏は、公開した声明で日本の司法制度について述べ、有罪を推定し、差別が横行し、基本的人権が否定され、日本国が従うことを義務付けられている国際法や条約を、はなはだしく蹂躙した不正なものだと描写しています。彼の日本脱出が正しいか否かを問う以前に、この表現はまことに当を得ていると、感心させられます。また、ゴーン氏は自分の日本脱出について、自分は正義から逃亡したのではなく、不正義と政治的な迫害から避難したのだと述べております。
日本の裁判官や検事たちは、たぶん、この主張を真っ向から否定することでしょうが、二つの立場があって、どちらが正しいのかと問われれば、それほど容易に日本の司法に加担する気にはなれません。ゴーン氏の日本における逮捕、起訴は、日本の法律に基づいて、合法的に行われたものであり、それを踏みにじって海外に移動することは違法行為だといいたいのでしょうが、日本における合法性が普遍的な意味でどのような性格を有するものであるのかを考察せずに、その問題を考えることはできないでしょう。
極端な言い方ですが、ナチズムによるホロコーストも、白人支配のアフリカ諸国や公民権運動以前のアメリカ合衆国、特に南部諸州で実施されていたアパルトヘイトもすべてその地域を有効に統治していた政治権力のもとでの、合法的な制度あるいは政策でした。日本の司法がゴーン氏の声明で描かれているような、人権を否定する、国際法を無視した不正な制度であるのならば、そのような極悪な制度によって、人権を否定され、傷つけられようとしている被害者が、避難することは、当然の行動であり、もしそれを不法な行為であると否定するのであれば、ホロコーストで虐殺されようとしていたナチズム支配地区のユダヤ人が避難することも不法な行為だったということになります。
ゴーン氏の日本脱出は特殊例で、日本の司法制度によって傷つけられている多くの司法被害者に同じことはできませんが、暴虐から避難するために、日本を去ることができればと思う多くの司法被害者を筆者は知っています。
メンツをつぶされた日本の司法当局の中には、これを前例にして、保釈制度自体を廃止すべきであるというようなことを主張している人もいます。そのような愚かな発想は、地獄に比喩される日本の裁判所の性格を、いよいよ際立たせることになるでしょう。
http://www.ootakasyouji.com/news/2020/20200102.html